こんにちは!JPOT(東海ジャーナリズムプロジェクト)の中島瑞葉(3年生)です。
私たちJPOTは、9月17日にニュースパーク(日本新聞博物館@横浜?関内)と、同じ建物内にある放送ライブラリーを訪れました。学外でのフィールドワークは昨年から実施しているものです。JPOTではジャーナリズムに関わるテーマで、春セメスターは「回し読み新聞ワークショップ」、秋セメスターは機関誌「Journalists」の冊子制作といった活動を行っています。秋セメスター中に実施する「Journalists」制作に臨んで、「そもそも、ジャーナリズムとは?」を学ぶために、今年はこの二つの施設を訪れることにしました。
ニュースパークでは、企画展「そのとき新聞は、記者は、情報は――関東大震災100年」が開催中でした。参加した学生たちにとって、特にこの企画展が印象に残ったようなので、今年新しく参加した二人のメンバーの感想を紹介します。
小市悠史(3年生):
ニュースパークでは、関東大震災発生時の新聞報道についての企画展が開催中だった。
火災により社屋が焼失し、新聞発行ができなくなった新聞社のほとんどが3日以内には号外を発行できるようになっていたという話には驚かされた。他にも、大阪に情報を伝えるために相模川を泳いで渡り切った特派員の話など、震災直後の報道の裏にはどのような努力があったのかを知ることができた。
一方、現地で取材できなかった特派員が、噂話を記事に書いていたことも分かった。
現在でも、災害時には情報が命である。今回の企画展では、報道機関の必要性を認識すると同時に、報道機関は市民からの信頼に報いるような報道をしなければならないのだと思わされた。
宮村優希(1年生):
国内初の日刊新聞発祥の地、横浜にあるニュースパークでは新聞の仕組みや歴史について詳しく知ることができた。
関東大震災の企画展示では、甚大な被害を受けながらも、人々に情報を伝え続けた記者の思いを感じ取った。
私は兵庫県出身であり、阪神淡路大震災で神戸新聞の記者が悲惨な現場に押しつぶされそうになりながらも、取材を敢行した話を学んだことがある。今も昔も正確な情報を迅速に伝えようとする記者魂には重なるものがある。
しかし、災害時において報道機関が流言飛語の拡散に加担してしまう問題点も存在する。インターネットが普及した現代では、その問題は顕著だ。我々は自らが受け取る情報に対してより慎重になる必要がある。ニュースパークで学んだことは単なる歴史ではなく、今に続く問題として認識しなければならないと感じた。
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私(中島)自身も、当時、交通網が発達していない中の記者たちの記者魂や、記者同士の連携に驚くと同時に、当時も今で言うデマの情報が出回っていた事実にも驚きました。私たちが日頃どのようにニュースやSNSの情報と向き合っていくのか考えさせられる機会となりました。
今回学んだことや感じたことを「Journalists」の記事の執筆や取材活動に反映していきたいと思います。「Journalists」の発行は来年2月ごろを予定しています。4月に入学する広報メディア学科新入生の皆さんには、もれなく最新号を差し上げますので、お楽しみに!