文明学科:オープンキャンパス開催報告

 2024年7月13日(土)にオープンキャンパスが開催されました。
 文明学科では、現役の学生2名の協力を得ながら、文明学科に関する基礎的な説明に加え、大学の授業の雰囲気に触れていただきました。

 模擬授業は、「宇宙?地球?大地の鼓動を感じる/感じない」というテーマで行いました。人間は、その歴史の99.9%以上の時間において、宇宙?地球?大地の鼓動を感じながら生を繋いできました。ところが、特に大都市に住まう我々は、資本主義?近代国家システムの熟成過程で、それを感じ取れない/感じ取る必要がない状態におかれることになりました。それと並行するように、環境?温暖化?生物多様性の問題等、我々の生きる舞台が深刻な問題に晒されてもいます。「宇宙?地球?大地の鼓動を感じる」とは、いかなることなのでしょうか。授業では、わずかな時間の中ではありましたが、16~17世紀のイタリアの歌を通して、その感覚への接近を試みました。以下に概要を示しておきます。文明学科の授業を追体験いただければ幸いです。


 コロンブスも必ずや目にしたプトレマイオス(ウルム版)の地図の周囲に、人物の頭部で表象された各方向からの風が描かれている(画像資料A )。風を読むのは、航海者にとって生死を分ける重要な判断となった。かつてその風は、まるで生き物のように捉えられており、神観念も付与されていた。それは古代ギリシャやローマの神話にも示されており、一部にしろルネサンス期の民衆の中にも継承されていたようである。
 古代ギリシャでは、風の神々はアネモイと呼ばれ、方角?季節?天候等とも関連付けられていた。その神殿?風の塔(ホロロゲイオン/アンドロニコスの時計塔)は、アテネのパルテノンの丘の北麓に配されており、今でも遺跡として残存している。(画像資料B画像資料C)その上部に示された各方向の風(の神)は翼をもち、それぞれ名称を有している。西風は、ゼピュロスと称された。
 そのゼピュロスは、ボッティチェリの代表作「春(プリマヴェーラ)」にも描かれている(画像資料D)。ギリシャ神話において、西風?ゼピュロスは、精霊ニンフと結婚し、後に彼女は花と春を司る女神クロリス(ローマのフローラ)となる。この絵の右端では、魔物のように暗く描かれたゼピュロスがニンフをさらおうとしており、その右側には花と春を司る女神と化したフローラ(クロリス)がバラの花びらをまき散らしている。
 西風?ゼピュロスは、春を告げる3月の極めて柔らかな風である。それは、重く硬直した冬という季節から解き放たれる徴でもある。それから太陽光線のきらめく春がやってきて、大地には草花が咲き乱れ、生きとし生けるものすべてがざわついてくる。豊穣と繁殖を得る時節に向かって歩み始めるのである。こうした感覚をルネサンスの一般の人々?民衆は、どのように感じ、捉えていたのであろうか。民衆の多くは、ほとんど文字資料を残さない。幸運にも、当時の流行歌が現在に伝わっている。
 それは、”Fuggi, fuggi, fuggi da questo Cielo”(逃げろ、逃げろ、この空から、逃げろ)というフレーズで知られ、後に「ラ?マントヴァーナ」(La Mantovana)あるいは「マントヴァの踊り」(Il Ballo di Mantova)とも呼ばれるようになる歌である。作曲は、16世紀に生き、1616年にこの世を去ったイタリアのテノール歌手ジュゼッペ?チェンチ(Giuseppe Cenci、別名:ジュゼッピーノ?デル?ビアード[Giuseppino del Biado])と言われるが、それ以前に民衆が歌っていたメロディーが元になっている可能性もあろう。その曲は、マドリガル(世俗声楽曲)集の中に残されている。イタリア語の歌詞の一例として、次のようなものが伝わっている。
映像資料1

Fuggi fuggi fuggi da questo cielo
(逃げろ、逃げろ、この空から逃げろ)
Aspro e duro spietato gelo
(厳しく、過酷で、猛烈なる寒さ)
Fuggi fuggi fuggi da questo cielo
(逃げろ、逃げろ、この空から逃げろ)
Aspro e duro spietato gelo
(厳しく、過酷で、猛烈なる寒さ)
Tu che tutto imprigioni e leghi
(すべてを幽閉し、束縛する者よ)
Né per pianto ti frangi o pieghi
(泣いても、壊れも封じられもしない)
fier tiranno, gel de l’anno
(荒々しき暴君、一年の凝結)
fuggi fuggi fuggi là dove il Verno
(ヴェルノ[春]のところへ、逃げろ、逃げろ、逃げろ)
su le brine ha seggio eterno.
(霜の上に、永遠の座をもつ)

Vieni vieni candida vien vermiglia
(純白なるものよ、おいで、おいで、赤きものよ、おいで)
tu del mondo sei maraviglia
(お前は、世界の感嘆である)
Vieni vieni candida vien vermiglia
(純白なるものよ、おいで、おいで、赤きものよ、おいで)
tu del mondo sei maraviglia
(お前は、世界の感嘆である)
Tu nemica d’amare noie
(退屈を愛するものの敵よ)
Dà all’anima delle gioie
(歓喜の生命を与えてくれ)
messagger per Primavera
(春の使者よ)
tu sei dell’anno la giovinezza
(お前は、一年の若者である)
tu del mondo sei la vaghezza.
(お前は、世界の優美である)

Vieni vieni vieni leggiadra e vaga
(おいで、おいで、おいで、待ち焦がれる優美なるものよ)
Primavera d’amor presaga
(愛を告げる春よ)
Vieni vieni vieni leggiadra e vaga
(おいで、おいで、おいで、待ち焦がれる優美なるものよ)
Primavera d’amor presaga
(愛を告げる春よ)
Odi Zefiro che t’invita
(誘い込む[西風の]ゼピュロスに耳を澄ませ)
e la terra che il ciel marita
(空が大地と結婚する)
al suo raggio venga Maggio
(その光線で、5月よいらっしゃい)
vieni con il grembo di bei fioretti,
(美しき花の子宮といっしょにおいで)
Vien su l’ale dei zefiretti.
([西風の]ゼピュロスの翼の上に乗っておいで)

 この民衆の音楽を通して、季節すら柔らかく擬人化されて捉えられている様子が生き生きと伝わってくる。冬はすべての動きが止まり、固まった状態で捉えられており、「荒々しき暴君」と称されている。「赤いもの、白いもの」とは、もちろん春の象徴?花々であろう。人々は、ハッとさせられるその彩に満ちた柔らかな春を待ちわびたのだろう。その春は、感嘆すべきもの?美しきもの?若きものだという。春に空は大地と婚姻関係を結び、それと連動して生きとし生けるものすべてが豊穣?繁殖に向かっていく。春が来なければ、食料も得られず、種を繋ぐこともできない。西風ゼピュロスの翼に乗ってやってくる春は、生命力がみなぎり、活性化した生きた地球の姿?状態そのものなのであろう。
 16世紀は、インカやアステカに代表される新世界先住民社会の「発見」?「征服」?植民地化がなされ、多くのモノ?人の移動?混淆が始まる激動の時期である。宗教?政治的権力による身勝手な論理のもとで、一方的な搾取も進められた。加えて、異質なる人々が排除され、等質性を好むようになるという意味において、近代国家的な価値観が始まる時期とも考えられている。宗教改革?反宗教改革のうねりの中で、目を覆いたくなるような暴力を伴うキリスト教?政治的権力の配下にもあった。ものごとの捉え方も、感性?感覚によるものから、科学的思考に移行していく。この歌に触れると、こうした状況にありながらも、人々?民衆は、宇宙?地球?大地そして生きとし生けるものと呼応?共鳴しながら生きていた様子をうかがい知れよう。

 元々この曲は、映像資料1のように、劇場で美しさを強調するように歌われるものではなかったのだろう。どういうわけか、その弾むようなメロディーは深く心に浸み込んでくる。当時の人々も同様の感覚をもったようで、このメロディーはフランドル、スコットランド、ポーランド、ウクライナ、ルーマニア等、ヨーロッパ各地へと広がり、独自の歌詞で歌い継がれてきた(大道芸人やロマの人々に代表されるような漂泊の民との関係性が探られてもよい)。ルーマニアやモルドヴァでは、「牛車」(Carul cu boi)や「生き生きした葉のトウモロコシ」(Cucuruz cu frunza-n sus)として歌われており、一部にはおそらくロマ(「ジプシー」)の人々の影響もうかがわれる(映像資料2映像資料3)。
 19世紀には、チェコの作曲家ベドリフ?スメタナの代表的な管弦楽曲?「わが祖国」(Má Vlast/ヴルタヴァ[Vltava])/モルダウ[Moldau])[川の名称])の中に取り入れら、継承されている[映像資料4]。そして、現在のポーランドからオスマントルコ配下のパレスチナ(現イスラエル)に入植したユダヤ人ナフタリ?ヘルツ?インバー(Naftali Herz Imber)の詩「ハティクヴァ」(Hatikvah[希望])が、ルーマニアとモルドヴァの国境付近から同地に入植したサミュエル?コーエン(Samuel Cohen)により、上述した「牛車」あるいは「生き生きした葉のトウモロコシ」のメロディーを基に歌われるようになる。それが原型となり、現在のイスラエル国歌として歌い継がれている(映像資料5)。

 大学で人文系の学問を学び教養を高める究極の目的は、おそらく多様な事象に多様な視点から目を向け、大きな視野を培い、自由な心を抱くこと/自由に生きることに外ならない。世界のあちこちで、国内勢力?国家間の関係が軋み続けている。願わくば、イスラエル国歌のメロディーの根底にも潜んでいる、宇宙?地球?大地の鼓動との共鳴も大切にしたいものである。本当の生きる舞台と調和し合おうとする柔らかな心?感性は、心の引き出しにしっかりと備えておきたいものである。

ラ?マントヴァ参考映像1
ラ?マントヴァ参考映像2

文明学科教授
大平秀一