熊本キャンパス松前記念総合体育館で3月19日、2016年度秋学期学位授与式を挙行しました。大学院生物科学研究科生物科学専攻博士課程1名、大学院産業工学研究科生産工学専攻(修士課程)1名、大学院農学研究科農学専攻(修士課程)10名、総合経営学部4名、産業工学部4名、経営学部169名、基盤工学部112名、農学部234名の計535名が卒業しました。当日は多数の来賓にご臨席を賜り、保護者の皆さまとともに修了生、卒業生を祝福しました。
式に先立ち、昨年4月に発生した平成28年熊本地震の全ての犠牲者に黙とうを行いました。中嶋卓雄九州キャンパス長の開式の辞に続いて建学の歌を斉唱。山田清志学長と中嶋九州キャンパス長が各大学院と学部の総代に学位記を手渡し、学業や課外活動で顕著な成績を収めた学生に総長賞などの各賞を授与しました。また、熊本地震で尊い命を失った農学部4年次生(当時)の脇志朋弥さんに対し、本学から特別学位記を授与。山田学長がご両親とともに出席された妹の麻奈好さんに手渡しました。
続く式辞では、山田学長が来賓や保護者らへの感謝を述べるとともに、「熊本キャンパスでの学位授与式には特別な意味があります。熊本地震では本学の農学部は壊滅的な被害を受け、その中で3名の学生の尊い命が失われました。入学して間もない1年次生、これから専門分野を深めようとしていた2年次生、そして、本来ならこの式場にいるはずだった4年次生の脇さんです。これからの人生に夢を描いていたことと思います。まことに残念でなりません。ただ、卒業を迎え、新たなスタートを切る皆さんは過去を嘆いてばかりではいられません。本学の創立者?松前重義博士は第二次世界大戦の敗戦で日本が落胆の底にあった昭和21年7月に雑誌『望星』を発刊し、”国民は希望の光を探し求めている。私も清らかなる希望の星を求めている。その距離は無限の彼方にあろうとも我らは聖なる希望を星につなぐ”と記しました。前を向いて希望の星をかかげ、逆境にめげず、たくましく生きよと諭しているのです。卒業生の皆さんには、こうした歴史が我が母校にあることを胸に刻み、希望高く前へと進んでいただきたい」と語りかけました。来賓祝辞では阿蘇キャンパスのある南阿蘇村の吉良清一村長から、「卒業生の皆さんの大学生活における貴重な経験は、今後の大きな糧になることでしょう。失敗を恐れず、大いに挑戦し、有意義な人生を歩まれることを期待します」とはなむけの言葉が寄せられました。
また、今年度から再開した在学生代表送辞では、基盤工学部医療福祉工学科2年次生の若宮大翔さんが卒業生に祝福の言葉を送り、「私たち在学生にとって先輩方は常に目標であり、心の支えでした。熊本地震でも困難にくじけず、学内外での復興支援やボランティア活動に臨む先輩方の姿に感動しました。仲間や地域の皆さんと手を取り合い、活動する姿から人間関係の大切さをあらためて感じることができました。私たちも努力し、先輩方が思いを託した大学を発展させていきたいと思います」と決意を述べました。
続く卒業生代表答辞では、農学部バイオサイエンス学科の成木翔太さんが登壇。出席者への感謝を述べ、入学からの4年間を振り返るとともに、熊本地震での経験について触れ、「私も阿蘇の下宿で被災した一人です。大きな揺れの後、大学の体育館で避難してからの3日間は、その場にいたすべての人にとって忘れられない出来事となっているでしょう。多くの命が失われ、そのうちの3名は私たちと同じ農学部の学生でした。その一人で、この場にいたはずの脇さんと私は同じサークルでともに活動した仲間でした。彼女の素敵な笑顔はいまも脳裏に色濃く残っています。多くの人が何にも代えがたい仲間を失い、計り知れない恐怖と悲しみを経験しました」と振り返りました。さらに、「私たちはそれを一身に背負い、そして乗り越え、日々を過ごしてきました。それができたのは、支えてくれたたくさんの支援があったからにほかありません。地震の発生からもう少しで1年が経ちます。熊本の復興にはまだまだ時間がかかることと思いますが、私たちはこの経験を人生の糧として、前を向いて歩いていきます」と力強く語りました。
式典終了時には、会場の出口で山田学長や中嶋九州キャンパス長、各学部長ら教職員が見送る中、卒業生たちが退場。会場の外では祝福に駆け付けた後輩たちが記念品や花束を抱えて待ち受け、あちこちで記念写真を撮影するなど、最後まで別れを惜しむ姿が見られました。